ニュースを見ながら。

 米国からの牛肉輸入再開とか、女子高生母親毒殺未遂とか、ニュースを見ながらふと思うのが「費用対効果」って言葉。
 小説家の大石英司の受け売りですが、あたしゃ女子高生の事件については学校側に責任を負わせられないと思っとります。だって、イジメとかと違って、母親に毒飲まして観察する、なんて人間は、そうそうめったに居ませんぜ?! 変な話、小学生で大学入試に合格する子供と同じ位の発生頻度だと思いません? そういう、極めて一部の天才の為にも役立つ小学校教育なんて成り立たない(そんな一部の少数も教育の範疇としたら、いくら教員が居ても足りない)のと同じように、母親に毒を飲まそうとする生徒も徴候を見つけて教育するなんていう生活指導も成り立たないと思っとります。
 出来ないとは言いません、1クラス12人くらいの教室だったら、天才少年も危ない生徒もまとめて面倒見られるでしょう。 でも、それをやったら経済的に成り立たない筈なんですね。それに、今の1クラス40人の編成で、99%の生徒はちゃんと教育も生活指導もできている訳で、現時点で大多数の生徒の教育が成立しているのに、極少数の天才や危ない生徒の為に全体のコストを4倍にするのは、「費用対効果」の面で有り得ないですよね。